今週のお題は「絵本」。
「子どものころ、どんな絵本を読んでいましたか?」
おとなになって以降、そんな問いかけがあれば、
いつも真っ先に思い浮かぶのは、なぜかこの絵本でした。
『なおみ』谷川俊太郎 作/沢渡朔 写真(福音館書店)
1982年に「こどものとも」の1冊として刊行されたこの絵本は、
6歳の「私」と日本人形の「なおみ」とが
一緒に過ごした日々の物語なのですが、
使われているのがイラストレーションではなく、
写真なのです。
前髪ぱっつんの少女と、100㎝はあろうかという日本人形が
お茶したり、一緒に眠ったり、仲睦まじいのですが、
写真であるだけに、いや、日本人形であるだけに、
物語が非常に生々しく、よりリアルに伝わってくるのです。
一緒に遊べば、喧嘩もする。
そんな親友ともいえる存在との時間は、
ある朝、突然終わりを迎えます。
物語の終盤、なおみは死んでしまうのです。
日本人形としての体だけを残して、
「なおみ」はいなくなってしまった…。
そこで終わりではなく、物語は前向きな形で締めくくられるのですが、
当時の私は、ちょっぴり切ないような、
そしてちょっと怖かったような読後感をもったような気がします。
なぜ怖かったかって?
作中、日本人形のなおみはうたったり、笑ったり、病気になるのです。
当時、「日本人形には魂が宿る」として
髪の毛が伸びる日本人形だとか、涙を流す日本人形だとかが
テレビのバラエティ番組で怪奇現象として
紹介されたりしていた時代だったんですよね…。
そんなわけで、幼き頃の私にとって、
日本人形は恐怖の対象でした。
祖父母の家に行ったときには、
夜寝かされる部屋には日本人形が飾ってあり、
ただでさえ、天井の木目すら顔に見えてきて恐ろしいのに、
薄暗いなか、じっと見られているような、
そして動き出しそうな気がしてなかなか眠れない…。
そんな思いをしていた私には、このお話を素直に、
心あたたかな、そして切ない物語として受け止めるには
少しばかり複雑な心境だったのです。
切ないけど怖い、
怖いけど心に残る話。
物語の終わりに感じた切なさと、
リアル日本人形というインパクトが
他の絵本に感じたことのない強い感情を
生み出したことは間違いありません。
あれから数十年経っているのに、
心に残る絵本、と言われてまず思い浮かぶのが
『なおみ』なのですから。
大人になって思ったのは、
ラスト、なおみが死んでしまったのは、
少女が大人へと成長するひとつのステップを表現したのかな
ということ。
大きくなるにつれて失われていく、
幼き頃、そのときにしか得られないひと時の貴重さ。
それは「無垢な感受性」とも言い換えられるでしょうか。
子どもの頃は妖精さんや霊が見えていたけれど、
大人になるにつれて見えなくなった、という話と同様に。
子どものときにしか感じられない何か、そして感情。
それはひとつの成長の証になるものだけれど、
そこそこに年齢を重ねてくると、
成長という前向きなものだけではないなと思うようになりました。
大人になればなるほど、
鈍感に生きていかなくては心を守れなくて、
失ってしまった感受性がたくさんある気がします。
若かりし頃は、感受性を失わずに大切にしていきたい、と
願っていたけれど、本当にそれができていたら、
いまごろ壊れていたのだろうな、とも。
さて、絵本の話に戻ると、
自分の子どもが絵本を読むようになってから、
久々に『なおみ』のことを思い出したとき、
なんで写真にしたんだろう。
なんで日本人形だったんだろう。
と、その意図について谷川俊太郎さんのインタビューがないか
ネットで調べましたが、見つかりませんでした。
…まさか、こういうインパクトを狙って?
もしそうだとしたら、まんまと嵌った人間がここにおります。
しかし残念ながら、人間の記憶とは儚いもので、
ワタクシ、長い年月の間に記憶が改ざんされておりまして、
作中のなおみも髪の毛が伸びたり、涙を流したりしていたと
すっかり思い込んでおりました!
なんという恐ろしい絵本なんだ!
そりゃぁ、忘れられないインパクトを与えるはずだ、と…。
が、確認したところ、
なおみはそんな怪奇現象を起こしておりませんでした。
当時の「恐れ」という感情がそうさせたのでしょうかねぇ…。
なおみが死んでしまうシーンは確か、
大きな箱に仕舞われる写真じゃなかったかな?
それが棺のようで、それもまた怖かったような記憶がありますが、
それも改ざんされたものだろうか…。
そういえば、当時の私は「怖い」という感情をもちつつも、
家の本棚にちゃんと保管して、何度か読んだ記憶があるな…
とうっすら思い出しました。
なおみがそんな恐ろしい人形だったら、
本を大事にとってないですよね。
なおみ、ごめんね…。
ちなみに、『なおみ』は2007年に復刻されたそうですが、
出版社でも在庫なしになっているから、もう古本でしか手に入らないかも。
他に子どものころに読んだ本で忘れられないのは、
『スーホの白い馬』と『モチモチの木』です。
前者は、あまりに理不尽な理由で愛馬を失う少年の悲しみが、
後者は、おじいさんを助けたい一心での少年のいじらしい勇気が心に残っています。
どちらも、涙の意味が違うけれど、
いま読んだら確実にボロボロ泣ける自信があります。
なんとなくあらすじを思い出しただけでもじんわりきますから。
「楽しかった!」という作品より、
意味は違えど「泣ける」作品ばかりなのは、単に私の趣向なのかしら。
そして谷川俊太郎さんですが、訃報が報じられました。
詩人という枠組みでは到底収まりきらない方でしたね。
以前勤めていた会社がお世話になり、
遠目にお見掛けしたことがありますが、
実に精力的に、いろんなテイストの作品を生み出してこられて、
あれ、これも谷川さん? それも谷川さん?ということが何度も。
10月に入ってから、『ねないこ だれだ』のせなけいこさん、
『ぐりとぐら』の中川李枝子さんの訃報も。
自分がこんな歳になったのだから仕方のないことなのですが、
残念で仕方ありません。
素晴らしい作品をありがとうございました。合掌。